歴史

すまぼう

須磨の歴史を知ってほしいぼぅ!

禅昌寺
境内の開山堂にぶらさがるひょうたんは「スズメのお宿」として知られています。紅葉寺とも呼ばれるとおり…
もっと見る
勝福寺
988(永延2)年、太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男、藤原英雄丸が勅命により、「証楽(しょうらく)上人(し…
もっと見る
白川の高座岩(夫婦岩)
白川峠の北方の小高い峰を高御座山(たかみくらやま)といい、その頂に東西に並ぶ二つの巨石「高座の岩」が…
もっと見る
前田家と菅の井
菅原道真が左遷される道中に須磨に上陸した際、須磨の旧家・前田家から井戸の水をくんで差しあげたところ…
もっと見る
弘法の井戸
妙法寺谷野にある、弘法の井戸です。夏のある暑い日、妙法寺村に立ち寄られた弘法大師が、村人に水を所望…
もっと見る
浄福寺(頼政薬師寺)
浄福寺は、西須磨の旧家・前田氏の建立といわれ、源頼政が再興したことから、「頼政薬師寺」とも呼ばれて…
もっと見る
那須与市の墓
那須与市宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与市は下野(しもつけの)国(くに)(栃木県)那須の庄の住…
もっと見る
板宿八幡神社
菅原道真が九州の大宰府に左遷される途中、休まれた時の跡地に、武神八幡大神と道真を鎮守神としてまつっ…
もっと見る
現光寺
「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭…
もっと見る
山伏山神社
この社の祭神は、猿田彦(さるだびこの)命(みこと)と天鈿(あめのうず)女(めの)命(みこと)ですが、そのまつ…
もっと見る
平重衡とらわれの松跡
源平合戦に際して、東門生田の森を守った平重衡(清盛の五男)は源氏の軍勢を防ぎきれず、西に遁走しまし…
もっと見る
旧住友別邸門柱
住友家第15代当主、住友友純が1893(明治26)年、海辺の約1300坪の土地に別荘を建て、須磨の別荘地開発の…
もっと見る
一の谷 戦の濱碑
一の谷は、鉄枴山と高倉山から流れ出た渓流に沿う地域です。一の谷から西一帯の海岸は、源平の戦いにおけ…
もっと見る
萩の寺(明光寺)
古くは明光寺といい、1650(慶安3)年の検地では阿弥陀堂と呼ばれ、1692(元禄5)年には伽藍も建立されま…
もっと見る
多井畑厄除八幡宮
光仁天皇の770(神護景雲4)年、畿内の国境十カ所に疫神をまつって疫神はらいを行わせたと『続日本紀』が…
もっと見る
旧和田岬灯台
1884(明治17)年に、それまでの木造灯台を鉄骨に改築したものです。 明治期の鉄骨灯台としては、現存する…
もっと見る
元宮長田神社
以前は元宮長田神社があった場所は、須磨の旧家前田家の邸内でした。前田家と、長田区にある長田神社とは…
もっと見る
妙法寺
738(天平10)年、僧行基が開基しました。 平清盛が福原遷都の際、平安京の鞍馬になぞらえ、ここを新鞍馬…
もっと見る
鏡の井
須磨にわび住まいした在原行平は、汐汲みに来ていた多井畑の村長の二人の娘を松風・村雨と名付け愛したと…
もっと見る
神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)
1919(大正8)年、貿易商西尾類蔵の邸宅として建てられました。 初代通天閣を設計した著名な建築家、設楽…
もっと見る
百耕資料館
板宿地区の旧家である武井家が所蔵する歴史資料・美術資料を広く一般の人々に公開し、地域文化の継承と発…
もっと見る
慶雲寺
湊川の戦いの時、足利尊氏の陣へ飛んでくる矢を拾う僧が現れ、味方をまったく傷つけなかったために、尊氏…
もっと見る
綱敷天満宮
菅原道真が九州の大宰府に左遷された際、風波をさけて須磨へ一時上陸しました。 土地の漁師たちは美しい松…
もっと見る
福祥寺(須磨寺)
一般には「須磨寺」の名で知られています。淳和天皇のころ(823~833年)に漁師が和田岬の沖で聖観音像を…
もっと見る
敦盛塚
平敦盛の供養のため建てられたという大きな五輪塔。北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ…
もっと見る
松風村雨の墓
須磨にわび住まいした在原行平が愛した多井畑の村長の二人の娘の墓です。多井畑厄除八幡宮の西200mの広場…
もっと見る
北向厄除八幡神社
源平合戦のとき、那須与市宗隆がこの神社を守護神として戦場にのぞみ、武運をまっとうしました。 その後、…
もっと見る
證誠神社
1506(永正3)年、紀州熊野権現を勧請して勝福寺の地主神としてまつったと伝えられています。 江戸時代に…
もっと見る
大歳神社(車)
646(大化2)年に孝徳天皇が創立したといわれ、もとは三木街道の南の地に鎮座していました。 社殿が非常…
もっと見る
須磨霊泉
須磨寺門前の北東角に湧いている地下水は「須磨霊泉」と呼ばれて親しまれており、須磨寺町にある堂谷池周…
もっと見る
安徳帝内裏跡伝説地
安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子を母として生まれた悲劇の幼帝です。1180(治承4)年に2歳で即位し…
もっと見る
村上帝社
平安時代の琵琶の名人藤原師長(もろなが)は、中国に渡りなおも琵琶の奥義をきわめたいと願い、都を出て須…
もっと見る
関守稲荷神社(須磨の関跡)
須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の…
もっと見る
義経腰掛の松(ほんがんさん)
源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと…
もっと見る
那須神社
1921(大正10)年ごろ、北向厄除八幡神社の境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。 住所 神戸市須…
もっと見る
鯖大師
一ノ谷町2丁目にあった貞照寺の本尊、弘法大師木像は右手に鯖を一尾さげているので俗に鯖大師の名で呼ば…
もっと見る
子守神社(釿桐(おのきり)神社)
勝福寺と證誠神社の中間にあって、もとは陰堂(こもりどう)であったと考えられています。一般には子守神…
もっと見る
大歳神社(白川)
一条天皇の995(長徳元)年、この山村に疫病が大流行したので、須佐之男(すさのおの)命(みこと)を迎えて疫…
もっと見る
松風村雨堂
平安時代、在原行平が須磨にわび住まいした際、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出会い、二人を…
もっと見る